大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和58年(ヨ)4867号 決定

債権者 渋谷興業有限会社

右代表者代表取締役 飯塚俊子

右代理人弁護士 田中秀幸

債務者 中根啓作

〈ほか二名〉

右三名代理人弁護士 山田裕四

主文

一  債権者の本件申請を、いずれも却下する。

二  申請費用は、債権者の負担とする。

理由

一  当事者の求めた裁判

1  申請の趣旨

(一)  債務者らは、この決定送達の日から三日以内に別紙土地目録記載(一)及び同記載(二)の土地上にある別紙H型鋼杭目録記載(一)のH型鋼杭を、仮に然らずとしても、同土地上にある別紙H型鋼杭目録記載(二)のH型鋼杭を除去せよ。

(二)  債務者らが、申請の趣旨(一)の期間内に、同(一)のH型鋼杭を除去しないときは、東京地方裁判所執行官に、債務者らの費用で同(一)のH型鋼杭を除去させることができる。

(三)  債務者らは、申請の趣旨(一)のH型鋼杭を除去するまでの間、別紙建物目録記載(二)の建物のうち、一階の北東の一辺全部(約八メートル)及び東南東の一辺全部(約九・七メートル)の各側壁全部(外壁・内壁その他一切を含む。)の建築工事をしてはならない。

(四)  債務者らは、別紙土地目録記載(三)の土地上に、同目録記載(一)の土地の地盤より高い土間用コンクリート床その他同目録記載(三)の土地から同目録記載(一)の土地へ直ちに雨水を注瀉する工作物を設置してはならない。

2  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨。

二  当事者の主張

1  申請の理由

(一)  債権者は、別紙土地目録記載(一)の土地(以下「(一)の土地」という。)及び同土地上に別紙建物目録記載(一)の建物(以下「(一)の建物」という。)を所有している。債務者中根啓作(以下「債務者中根」という。)は、別紙土地目録記載(二)の土地(以下「(二)の土地」という。)を所有し、同土地上に、債務者植村節子(以下「債務者植村」という。)と共同で別紙建物目録記載(二)の建物(以下「(二)の建物」という。)を建築中であり、債務者辰建設株式会社(以下「債務者会社」という。)はその施工業者である。

(二)  (合意に基づくH型鋼杭除去請求権)

(1) 債権者は、昭和五七年一二月上旬に、債務者らとの間で、債務者会社を債務者らの代理人兼本人として以下の合意をした。

(ア) 債務者らは、(二)の建物の地下工事のため、(二)の土地内で(一)の土地の境界に隣接する場所及び(一)の土地の一部に、二〇本位の山留用H型鋼杭(縦、横約二五センチメートル、厚さ約一センチメートル、長さ約一一メートル)を暫定的、仮定的に打ち込む。

(イ) 債務者らは、債権者に対し、右(ア)のH型鋼杭を打ち込んだ後、山留の必要がなくなった時には、直ちに右H型鋼杭のうち(一)の土地を侵害して打ち込んだものは、すべてその侵害の程度如何にかかわらず除去する。

(2) 債務者中根及び同植村は、右合意に先立ち、債務者会社に対し、その旨の代理権を与えた。

(3) 債務者会社は、昭和五七年一二月上旬から同五八年二月上旬までの間に、前記(1)の合意に基づき、別紙H型鋼杭目録記載(一)のH型鋼杭(以下「(一)のH型鋼杭」という。)を含むH型鋼杭一七本の打ち込みを終了したが、同年五月二三日頃には、(二)の建物の基礎及び地下一、二階の外壁、床のコンクリ打ち工事を終了したので、遅くとも右の時点にはH型鋼杭を埋設しておく必要性はなくなっている。

(4) (一)の土地と(二)の土地との境界線は別紙図面(一)記載のK1・K2・K3を順次に結ぶ直線であり、これによれば(一)のH型鋼杭が(一)の土地に越境していることとなり、仮に然らずとするも、少なくとも別紙図面(二)記載のK1・K・K3を順次に結ぶ直線であり、これによれば別紙H型鋼杭目録(二)記載のH型鋼杭(以下「(二)のH型鋼杭」という。)が(一)の土地に越境していることになる。

(5) よって、債権者は、債務者らに対し、前記(1)記載の合意に基づき、(一)のH型鋼杭、仮に然らずとしても(二)のH型鋼杭の除去請求権を有する。

(三)  右(二)(1)記載の合意が認められないとしても、債権者は、債務者らに対し、(一)の土地所有権に基づき、(一)の土地に越境している(一)のH型鋼杭、仮に然らずとしても(二)のH型鋼杭の除去請求権を有する。

(四)  なお、(一)及び(二)のH型鋼杭のうちには、(一)及び(二)の各土地にまたがって存在するものもあるが、地下作業として右H型鋼杭を縦に割って除去することは、全部を除去することよりも経済的に多大の費用を要し、物理的にも困難であるから、その全部を除去すべきである。

(五)(1)  債務者らは、右H型鋼杭の打込工事中に、別紙図面(一)記載の(一)と(二)の土地の境界点K2・K3に存した境界石標を、債権者に無断で、故意に除去し、自ら境界を不明にしておきながら、自己に有利な境界線を主張する。

(2) 債務者らは、H型鋼杭を打ち込む時に、(一)の土地を侵害することを熟知していた。

(3) 債務者らは、債権者に無断で、H型鋼杭を鉄板又はコンクリートで固着して(二)の建物の一部とした。

(4) 債務者らは、H型鋼杭の撤去の問題が解決するまでH型鋼杭除去に支障を生ずる範囲内部分についての(二)の建物の工事を停止するようにとの債権者の請求にもかかわらず、(二)の建物の工事を全面的に遂行している。

(5) このまま(二)の建物の工事が完了すれば、H型鋼杭の除去はますます困難となり、債権者は著しい損害を被ることになる。

(6) 債務者らの前記(1)ないし(5)にあげた姿勢からみれば、債務者らは除去命令が出てもそれに従わないことが十分考えられ、かつH型鋼杭除去工事をするには(二)の建物のうち一階のH型鋼杭に接する部分二辺(北東及び東南東の各辺)の各側壁全部を完成させず、空間にしておくことが最小限必要である。

(六)  (雨水注瀉工作物設置禁止請求権と保全の必要性)

(1) 債務者らは、(二)の建物の地盤を、(一)の土地より約三五ないし五〇センチメートル以上高くしているので、(二)の建物の外壁と(一)の土地の境界線とで囲まれた土地である別紙土地目録記載(三)の土地(以下「(三)の土地」という。)上に(二)の建物の地盤にあわせ又はその地盤と同じ高さで土間用コンクリート床等の工作物を設置するおそれが十分あり、これが設置された場合は、(二)の土地及び(二)の建物の雨水が(一)の土地に直接注瀉する。

(2) (一)と(二)の建物はきわめて接近していて両者間の土地は狭いので、債権者は、右雨水の直接注瀉による被害を常時甘受しなければならないこととなり、重大な損害を被るおそれがある。

(七)  よって、債権者は、申請の趣旨記載の裁判を求める。

2  申請の理由に対する債務者らの認否及び主張

(一)  申請の理由(一)の事実は認める。

(二)  申請の理由(二)については、同(1)、(2)及び(4)の事実は否認し、同(3)の事実は認める。同(5)は争う。(一)の土地と(二)の土地の境界線は、別紙図面(三)記載のK1・K2・K3の各点を順次結んだ直線であり、債務者らが打ち込んだH型鋼杭はいずれも(二)の土地内にある。

(三)  申請の理由(三)及び(四)は争う。

(四)  申請の理由(五)について

(1) 同(1)の事実は、債務者会社の下請業者が過失によりK2の境界石標を倒した限度で認めるが、その余は否認する。

(2) 同(2)の事実は否認する。

(3) 同(3)の事実は認める。但し、債務者会社は、地下工事中、予想外の地下水が湧き出て、作業が不可能となるので、土砂の流出と地下水の流入を防止するため、やむなくH型鋼杭に鉄板を溶接し、右鉄板を(二)の建物の基礎及び地下一、二階の外壁に結合したものである。

(4) 同(4)の事実については、債務者らが(二)の建物の工事を遂行していることは認めるが、その余は否認する。

(5) 同(5)及び同(6)の事実は否認する。

(五)  申請の理由(六)については、債務者らが(二)の建物の地盤を(一)の土地より約三五センチメートル高くしていること及び(一)の土地上にある(一)の建物と(二)の建物がきわめて接近していることは認めるが、その余は否認する。

(六)  権利濫用の主張

たとえ債権者の主張のとおりH型鋼杭の一部が、(一)の土地に越境して埋没されていたとしても、左記の事由により、債権者の右H型鋼杭除去請求権の行使は権利の濫用であり、許されない。

(1) H型鋼杭が越境していたとしても、その部分はせいぜい六ミリメートルないし一一・五センチメートルにすぎず、しかも、債務者会社がすでに地下二メートルまでの部分を切断して排除したため、残余部分は、債権者の土地利用に何らの支障を与えず、実害がない。

(2) 債務者らの建設中の(二)の建物は、すでに地上七階までのコンクリート打ち工事を完了し、高さ二一・四メートルの枢体工事は終了しており、これを取り壊すこととなれば莫大な費用を要する。

(3) 右建築中の(二)の建物と(一)の建物とは三一・八センチメートルないし五〇四センチメートル位の間隔しか存在せず、この間隔の地下二メートルに埋没しているH型鋼杭の撤去は不可能である。

三  当裁判所の判断

1  申請の趣旨(一)ないし(三)について

(一)  申請の理由(一)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  債権者は、申請の理由(二)(1)記載のような合意の成立を主張するが、その合意の内容は、債権者の所有する(一)の土地内にH型鋼杭が打設された場合には、債務者らはこれを撤去するという当然のことを約したというにすぎないものであって、結局のところ、H型鋼杭が(一)の土地に越境しているか否かが問題となることは、(一)の土地所有権に基づくH型鋼杭撤去請求権に基づく場合と同様であるから、まず(一)の土地と(二)の土地との境界について考えることとする。

疎明資料及び審尋の結果によれば、当事者の主張する境界線のうち、別紙図面(一)記載のK1・K2・K3を順次結ぶ直線は、債権者所有の(一)の土地が公簿面積を確保するように作図した境界線、別紙図面(二)記載のK1・K・K3を順次結ぶ直線は、債務者らが(二)の建物を建築するに際し、当事者間で一応の合意が成立した境界線であって、そのうちK及びK3の地点には境界石標が存在していたこと、別紙図面(三)記載のK1・K2・K3を順次結ぶ直線は、以前(一)及び(二)の各土地付近で実施された区画整理事業時に作成された換地図に基づき作成した境界線であること、右各図面の各K1及びK3の各地点はいずれも同一の地点であって、右地点が(一)の土地及び(二)の土地の境界であることは、特段争われていないことがそれぞれ認められる。そうすると、本件の疎明資料及び審尋の結果を前提とする限りでは、(一)の土地と(二)の土地の境界は、別紙図面(二)記載のK1・K・K3を順次結んだ直線であると考えるのが相当である。右の境界線を前提とすると、疎明資料によれば、(二)のH型鋼杭は、その一部が(一)の土地に越境して打ち込まれていることが一応認められる。

(三)  しかし、疎明資料によれば、右越境部分は六ミリメートルないし一一・五センチメートルであり、右越境している六本のH型鋼杭については、債務者会社がすでに地下二メートルまでの部分を切断して排除していること、債務者らが建設中の(二)の建物は、すでに地上七階までのコンクリート打ち工事を完了し、高さ二一・四メートルの枢体工事は終了していること、建築中の(二)の建物と(一)の建物とは三一・八センチメートルないし五〇・四センチメートル位の間隔しか存在しないことが一応認められる。

右事実に照らせば、(一)の土地に越境しているH型鋼杭の残余部分が、現時点において債権者の土地利用に何らかの支障を与えるものとは考えられず、また、その旨の具体的な主張立証もなく、他方、右六本のH型鋼杭を除去することは技術的、経済的に相当困難であると考えられるのであって、債権者が(一)の土地所有権に基づき(二)のH型鋼杭を撤去するよう求めることは、権利の濫用であるというべきである。

もっとも、債務者らが、当初から侵奪の意図をもって、右のH型鋼杭を打ち込んだというのであれば、債権者のH型鋼杭撤去請求権の行使が権利の濫用となるものではないというべきであるが、債務者らが、H型鋼杭を撤去しないこととした際に、債権者に何らの了解をも得ようとしなかったことについては疑問を感ぜざるを得ないものの、疎明資料によれば、債務者らが、H型鋼杭を撤去しなかったのは、予想外の出水により、その撤去が不可能となったためであることが認められることからすると、債務者らが、当初から侵奪の意図を有していたものとは到底認められない。

また、債務者らが事前にH型鋼杭の撤去を約していたとしても、右のような事情の下では、これをもってH型鋼杭の撤去請求権の行使が権利の濫用でないとすることはできない。

2  申請の趣旨(四)について

申請の理由(四)のうち、(二)の建物の地盤が(一)の土地より少なくとも約三五センチメートル高いことは当事者間に争いがない。しかし、債務者らが、(二)の土地及び(二)の建物の雨水が(一)の土地に直接注瀉するような工作物を設置するおそれがあると認めるに足りる疎明はないし、また、雨水の注瀉については排水施設の設置等種々の対策が可能であって、債権者主張のような対策が唯一の解決方法であるとはいえないから、結局債権者の主張は理由がない。

3  よって、債権者の本件申請は、いずれも被保全権利又は保全の必要性の疎明がなく、保証をもって疎明に代えることも適当でないから、これを却下することとし、申請費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 山本恵三)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例